六龍が飛ぶ 第36話あらすじ1/2 ユ・アイン、キム・ミョンミン、シン・セギョン主演韓国ドラマ

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善竹橋。

なんの用だ?と、チョン・モンジュ

夜が明ければ三峰師匠と我々の人材を処刑されるのですか?と、パンウォン

国を覆そうとしたので、罪の対価として彼らの命が軽いとおいうことはないだろうと、チョン・モンジュ。

どうしても、この国、諦められませんか?と、パンウォン。

私が生まれ育った国だ、私と私の家族と私の同門たちを育てたこの地を、この社稷に背を向けるならば、どうして儒者ということができようか?と、チョン・モンジュ。

社稷、社稷だと?と、パンウォン。

お前はまた、民を言い訳するつもりか?と、チョン・モンジュ。

先日私に、民を売るなとおっしゃいました、それで、私は再び民らによく接しました、けれど、民らはです、実は社稷がどうなろうとこだわらないと、パンウォン。

 

それで、そのかわいそうな民が、その新しい国を望むとでもいうのか?と、チョン・モンジュ。

民らにはこうしたことがどうなっても、何の関係がありましょうか?圃隱(ポウン)先生が社稷を守ろうが、三峰師匠様が建国をしようが、彼らには何の関係がありません、民にはただ!飯と生きる喜び、これなら良いのでしょうと、パンウォン。

お前はまた、民を売り食っているのだと、チョン・モンジュ。

あの万寿山に葛のつるがあんなに絡んでいるといって、それを恨む人がどこにいるというのですか?圃隱先生と三峰師匠様、お二人様があれほどに絡まり手を取り合って国民らに生々之楽を感じさせるならば、先生がそれほど重視する歴史に、誰が恐れもなくつまらない筆先で、先生に恥をかかせることがありましょうか?と、パンウォン。

民だと?生々之楽だと?よく聞けよ、儒者は民を追うのではない、民を抱き、ただ導かねばならないのだ、抱くために社稷が必要であり、それに向かう儒者の心を忠と呼ぶのだ、その忠を捨てれば心の中の民も消えるのだと、チョン・モンジュ。

今夜、何事が起きようとも、その心、変わりませんか?と、パンウォン。

分銅鎖を引きずってやってくるヨンギュ

 

我々はどうやっても先生を得られないのですか?と、パンウォン。

ハハハ、実につまらない脅迫だな、おい、 イ・ソンゲ将軍と三峰、お前たちがどうするとしても、単に得られるものは、高麗と100斤少し越えるこの体だけだ、私を殺し殺せ!百回殺してみろ、白骨がみな腐って行き、体が腐りホコリになったとしても、この体の中にあった一片の忠に向かった赤い心は、一片丹心は、持つことができないぞと、チョン・モンジュ。

その心、感心します、はい、志、分かりました、お師匠様と、パンウォン。

ああ、そなたが持てるものが一つあるにはあるぞ、千年の悪名、そなたはこのチョン・モンジュという名前と、明朝から千年の間絡まり記憶され広く知られるはずだ、良く耐えてみろ!と、チョン・モンジュ。

はい、そうします!先生と現生に絡まることができないなら、死んで生きても長い歴史に千年万年先生と絡まって享受してみます!ヨンギュ!!

『三峰、そなたの言葉通りなったな。高麗千年の大計のために、この命を捧げようとしたけれど、この国は終わり、私が千年を生きることになったので、これはどれほどとんでもないことというのか・・・』と、心のなかでつぶやくチョン・モンジュ。

ヨンギュの手にする分銅鎖が振り下ろされる。血しぶきがパンウォンの顔に飛び散る。何度も、何度も、分銅鎖は振り下ろされる。

 

チョン・モンジュの遺体を目にするキル・ソンミ

 

開放される三峰(サムボン:삼봉)鄭道伝(チョン・ドジョン)。刑の執行が明朝なのにといぶかしがる。

そこにパンウォンがやってくる。何かを告げ、一礼して去っていく。

膝を落すチョン・ドジョン。

パンウォンの手を握るヨンギュ。

ヒョン、大丈夫か?大丈夫だと、パンウォン。

これ以上のことをやったことのあるヨンギュだったが震えが止まらない。

大事だったのだと、パンウォン。

これからどうなるので?と、ヨンギュ。

多くのことが変わるだろう、すぐに明日から、大きのことが変わるはずだと、パンウォン。

 

戻ってきたパンウォン。プニの前で膝をつく。

 

 

六龍が飛ぶ 第36話あらすじ2/2に続く

文責:韓国ドラマあらすじ団

 

コメント

  1. sallie より:

    「根の深い木」もそうだったのですが、思想的なやりとりは聴き取りが難しくて大筋だけの理解で・・・今か今かとお待ちしておりました。圃隱とパンウオンの丁々発止のやりとり、大事な場面だけに、ここで初めて〈そうだったのか!〉・・・(でも日本語でも難しいですね!!)

    何度も申し上げてますが、特に時代劇!!!はあらすじ団さまさまです!