パク・ボゴム(박보검)、キム・ユジョン(김유정)主演KBS2月火ドラマ
雲が描いた月明かり(クルミ クリン タルピッ:구르미 그린 달빛)
が好評のうちに終了し、有終の美を飾りました。
ユンソンが死んでしまうサッドもありましたが、概ねハッピーエンドでした。
雲が描いた月明かり キャスト・登場人物紹介 パク・ボゴム、キム・ユジョン主演韓国ドラマ
当ドラマは朝鮮時代のある時期をモチーフにした、ほぼフィクションという作りでした。
そうなると、やはり気になるのは史実ですよね?
というわけで、改めて史実をチェックしてみたいと思います。
※史実はドラマよりとてつもなく悲壮感にあふれています。
ドラマのハッピーエンドのイメージを壊したくない方は、これから先の文章を読まないでください!
雲が描いた月明かり 史実を見てみよう
登場人物にスポットを当てて、史実とドラマ内の設定を比較してみましょう。
王 純祖(スンジョ:순조:1790-1834)
純祖は朝鮮第23代王であり、かの有名な第22代王・正祖(チョンジョ:정조)李祘(イ・サン:이산)の息子です。
彼が王位についたのは1800年のこと。
ご多分に漏れず、若年王として王権が弱体化します。
父王が改革王だったこともあり、反動で保守系勢力が幅を利かせ、安東金氏(アンドンキムシ:안동김씨)による60年にも渡る勢道政治も、この時期から始まりました。
ドラマ内ではヨンの母は正体が定かではありませんでしたが、実際のヨンの母は純元王后(スヌォンワンフ:순원왕후)で、彼女は安東金氏です。
また、キム・ホンのモデルとなったのは、純元王后の父である金祖淳(キム・ジョスン:김조순)で、彼こそが外戚として安東金氏の勢道政治を開始した人物でもありました。
このことからもわかるように、ヨンの母と中殿キム氏は、歴史上同一人物であり、ドラマ内で人格を二人に分けているのです。
ドラマの登場人物の中では、ある程度史実に忠実に描写されたのが、この王だったといえます。
洪景来(ホン・ギョンネ:홍경래)
ラオンの父として設定されたホン・ギョンネは、1811年に平安道で蜂起します。
これが有名なホン・ギョンネの乱です。
翌年には銃に討たれて死んでいますが、ドラマ内では生き延びていました。
これはまったくのフィクションというわけではなく、1826年に起きたチョンジュ怪書事件の際に、ホン・ギョンネは生きていると書かれていたりもしました。
もちろん、実際には彼が生きている確認は取れていません。
おそらくは、困窮する民が、反逆のシンボルとしてたてまつり、朝廷に対するブラフとして利用したのでしょう。
茶山(タサン:다산)丁若鏞(チョン・ヤギョン:정약용:1762.6.16-1836.2.22)
朝鮮後期に実学を集大成した大思想家で、現在でも尊敬を受け人気のある人物です。
前期にはイ・サンの寵愛を受け、その実力を朝廷でいかんなく発揮、後期には一転して19年間も流刑生活を強いられます。
幸か不幸か、その流刑中に500冊近い書籍を執筆し、後世の評価を得るに至りました。
色々と記述していくとキリがないので割愛するとして、彼が晩年、朝廷に戻ったという事実はありません。
イ・サンがもっと長生きしていれば!チョン・ヤギョンがもう少し長く政治の中枢で活躍していれば!
歴史に『たられば』はありませんが、そう思わずにいられない人物であり、最終回での描写は韓国の人の願望がだともいえます。
淑儀 朴氏(スギ パクシ:숙의 박씨:?-1854)と永溫翁主(ヨンウン オンジュ:영은옹주:1817-1829)
正確には1854年以前の何処かで亡くなっているようで、重要人物ではなかったため、明確な記録が残っていません。
ヨンが1827年に代理聴政(テリチョンジョン:대리청정)を開始しているのですが、その2年後には亡くなってしまいました。
孝明世子(ヒョミョンセジャ:효명세자 )旲(ヨン:영)
ドラマファンが一番知りたくない事実をこれからお話します。
実際のヨンは1830年5月6日に亡くなっています。
1809年8月9か生まれなので、韓国式で享年22歳でした。
この史実を知っていたため、エンディングがどうなるのか非常に気になりましたし、観相師の見立てが出てきたときに、やはり早死?と思ってしまったわけです。
けれど、ドラマはドラマとしてフィクションを突っ走ってくれました。
死亡年からも分かる通り、彼は父王より早く亡くなっています。
後に文祖(ムンジョ:문조)または翼宗(イクチョン:익종)として追尊されたのですが、それは彼の息子・憲宗(ホンジョン:헌종)が8歳で即位したから。
はっきり言って、純祖以降の朝鮮王室は目も当てられないグズグズな状態でした。
もし彼が生きていたら、安東金氏に良いようにやられまくることはなかったでしょう。
趙萬永(チョ・マニョン:조만영)の娘ハヨンが世子嬪(セジャビン:세자빈)となりましたよね。
ドラマ内では婚姻がなかったことになりましたが、ハヨンが産んだ子こそが、のちの憲宗だったのです。
ヨンが生きていれば憲宗もまた幼少期に王になることはなく、王権の弱体化は防ぐことが出来た可能性があります。
ヨンは安東金氏(アンドンキムシ)を牽制するために、代理聴政時には、豊壤趙氏(プンヤン チョシ:풍양조씨)を多く登用しました。
ドラマ内でハヨンが言っていた家門の繁栄は、ある一時期上手く行っていたのです。
けれど、ヨンが若くして亡くなってしまい、元の木阿弥に帰するのでした。
ちなみにハヨンのモデルとなった神貞王后(シンジョンワンフ:신정왕후)は83歳まで長生きし、最終的に彼女は大王大妃となりました。
追記
もちろん、ピョンヨンが世子翊衛司(セジャイグィサ:세자익위사)に所属していたというのはフィクションですが、官職にはついていました。
けれど、ある事実を知り、22歳の頃に官職を辞し、放浪詩人として生涯を過ごします。
その際、空を見ることの出来ない罪人だということで、常に大きな笠をかぶっていました。
そのため彼は、本名だけでなく金笠(キム・リプ:김립)・キム・サッカッ(김삿갓)と言う俗称も有名です。(前者は漢語、後者は固有語)
では、ある事実とは何だったのでしょう?
ドラマ内でも描かれていましたが、祖父の宣川府使(ソンチョン プサ:선천 부사)金益淳(キム・イクスン:김익순)が、ホン・ギョンネに投降後、その罪を問われ斬首された事件に端を発します。(キム・イクスンは朝鮮王朝実録に18回も登場します)
ドラマ内でのキム・イクスンは民のために動いたように描かれていましたが、実際には宴を開いていた際に賊軍に急襲され投降に至りました。
ぶっちゃけた話、とてもツイてない人です。
もっとも、民が疲弊しているさなかで宴を開いているので擁護は出来ませんが・・・。
通常、反逆であれば、孫までの男子は死刑となります。
けれど、下人の手引で上手く逃げおおせ、その後、科挙に及第します。
不幸にもその時の詩題が、祖父キム・イクスンの逆賊行為を批判せよとのものでした。
祖父と知らずに批判を展開し、それにより合格したピョンヨンは、後にキム・イクスンが祖父だと母から知らされます。
そして、罪の意識に苛まれ、放浪詩人となったのでした。
彼は日本の詩家に当てはめると山頭火なのだそうです。
詩才が無いので検証はしていませんが、興味のある方は詩集を読んでみてください。
ちなみに彼の家門も安東金氏(アンドンキムシ)です。
最後にドラマ冒頭の注意書きを紹介しておきます。
『このドラマは歴史の中の人物をモチーフにして作った仮想のお話です。実際の歴史的事実とは異なることをお知らせいたします』
文責:韓国ドラマあらすじ団
コメント
解説、解りやすくて胸のつかえが下りました。悲しい事実ですが、そこから上手くお話を作るのが素敵です。ロマンチックでハラハラして楽しみな18回でした。翻訳を直ぐにして下さり、感謝です。軽くて恋愛の達人でめちゃはんさむな王世子でした。若くして亡くなって残念ですが、同じ意思を持っていたんですね。やっぱり歴史を知ると、深まります。今は韓流の本が減り、歴史本はほとんどないです。一時期は必ず2〜3種置いてありました。
解説、ありがとうございます。
解説ありがとうございます。勉強になりました。
キム・ビョンヨン(放浪の詩人キム・サッカッ)についても書いていただけたら、もっと嬉しかったです。