不滅の恋人コラム。
第4回は「イ・フィのモデル安平大君はどんな人?」です。
不滅の恋人(原題:大君・テグン-愛を描く:テグン-サランウル クリダ:대군 – 사랑을 그리다)特集ページ
不滅の恋人コラム4 イ・フィのモデル安平大君はどんな人?
ドラマ内でのイ・フィ同様、実在のの安平大君(アンピョンテグン:안평대군)も3男で、ドラマの兄弟の構図は史実と全く同じです。
ただし、ドラマ内ではマンネ(末っ子)とあったので、大妃(テビ:대비)シム氏は史実のように子沢山ではなかったということですね。
今後新たな登場人物として弟も登場しないのでしょう。
当代きっての書の天才
ドラマでフォーカスが当てられているのは絵(画)ですよね。
彼はあらゆる才能に秀でており、書芸・詩文・絵・伽耶琴(カヤグム)に長けていました。
とりわけ書は後年の石峯(ソクボン:석봉)韓濩(ハン・ホ:한호)と共に朝鮮を代表する書芸家としての評価を受けているほどです。
もちろん、大君バイアスがかかっている可能性は無きにしもあらずですが、中国の皇帝からも書を所望され、当時の彼の書体が流行したことからも、そのレベルの高さが伺えます。
ただ、残念なのが、その名筆が殆ど残っていないこと。
本人の意志は定かではないものの、結果的に兄・首陽大君(スヤンテグン:수양대군)との覇権争いに敗れてしまい賜薬(サヤク:사약)を下された謀反人です。
残っている書も根絶やしにされました。
また、半島の資料は第二次世界大戦後に勃発した朝鮮戦争により壊滅的な打撃を受け、御真(オジン:어진)でさえ残っていない状況なので、仮に近代まで残っていたものがあったとしても、朝鮮戦争の際にほとんど喪失したことでしょう。
そんな中、日本の天理大学図書館に彼の書が残されています。
個人的に書の優劣を判断するレベルにないので手練の方に評価していただきたいのですが、素人目に見ても美しい書体ではないかと思います。
夢遊桃園図(モンユ トウォンド:몽유도원도)
実は安平大君(アンピョンテグン)も遠ざけられていた
兄・首陽大君(スヤンテグン)は武闘派ながら学もあるタイプで、弟・安平大君(アンピョンテグン)は闊達さと文芸の才を併せ持った人でした。
そして、世が世ならそれぞれが王になれたであろう王材で、そのために父・世宗(セジョン:세종)からは共に遠ざけられていました。
もちろん、ドラマのように少年期まで追い出されていたことはありません。
それでも、成均館(ソンギュングァン:성균관)に入学後才能を発揮した彼らを、世宗は王宮に近寄らせませんでした。
才能のある王子というのは、いつでも世子(セジャ:세자)の脅威であり王の脅威なのです。
実は養子に出ていた
彼は父・世宗(セジョン)の弟・誠寧大君(ソンニョンテグン:성녕대군)の養子になっています。
要するに叔父の養子となっているのです。
といっても、朝鮮ではよくあることですが、死んだ大君のあとを継ぐための養子で、誠寧大君の生前にそうなったわけではありません。
誠寧大君は中殿腹の末っ子として特に可愛がられており、そんな弟の家督を継がせたのは世宗の弟愛でもありなき父母への孝行だったことでしょう。
王宮で育った?
父王・世宗(セジョン)が即位したのが1418年9月9日。
安平大君(アンピョンテグン)はその直後の10月18日に誕生しています。
長子でないのでざっと見た限りではどこで生まれたのか定かではありませんが、一般的には王宮内と考えて良いでしょう。
一方で、兄の首陽大君(スヤンテグン)は5歳(日本で言う4歳)までは私邸で育っています。
ドラマではかなりデフォルメされており、それなりに大きくなるまで私邸住まいとなっていましたね。
この辺の事情は来週にでも紹介します。
文責:韓国ドラマあらすじ団
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