獬豸(ヘチ:해치)第1話を視聴しました。
一言で感想を表すと・・・たまらん!
いや~、やっぱりこの時代は面白いですね~。
そして、とても緻密な描写と疾走感で、あっという間に1時間が終わってしまいました。
いきなりあらすじを書こうと思っていたものの、難解だったため誰もついてきてくれないような気がして・・・。
そのため、あらすじに入る前にバックグラウンドを整理しておきたいと思います。
獬豸(ヘチ:해치) 作品データ
- 韓国SBSで2019年2月11日から放送開始の月火ドラマ
- 脚本:キム・イヨン(김이영) 李祘(イ・サン:이산)、同伊(トンイ:동이)
- 演出:チュ・ドンミン(イ・ヨンソク) 『大風水(テプンス:대풍수)』
- あらすじ:卑しいムスリの体から生まれた王子・延礽君(ヨニングン)李昑(イ・グム)が、情熱あふれる科挙準備生パク・ムンス、司憲府の熱血茶母(タモ)ヨジ、市場通りのチンピラ・タルムンと共に力を合わせ、大権を勝ち取る過程を描いたドラマ。
1719年
物語は1719年の粛宗(スクチョン:숙종)末からスタートします。
この表示だけで「おお、そこからか!」と、胸熱なボク。
おっとその前に注意事項を。
●注意事項●
獬豸(ヘチ)を手がけたキム・イヨン作家の同伊(トンイ:동이)・李祘(イ・サン:이산)を視聴しているものとみなして歴史解説をしていきます。
なので、歴史にネタバレ無しで、ネタバレを回避したい方は獬豸(ヘチ)に関する文章を読まないようにしてください。
歴史モノって結構クレームが来るので念の為。
1719年は粛宗の最晩年です。
彼は翌1720年にその生涯と45年10ヶ月にも渡る治世に幕を閉じました。
彼の治世は党派を何度も入れ替える換局(ファングク:환국)で説明されることが多く、これについては後述していきます。
1719年とはどんな年だったのでしょうか?
トンイ考を運営していた際に作った年表を見ても、大きな事件は起きていません。
もっとも、粛宗が溺愛していた延齢君(ヨルリョングン:연령군)李昍(이훤:イ・フォン)が死去したことが彼を弱らせた可能性は否めませんが。
この年の前年、トンイこと淑嬪崔氏(スクピンチェシ:숙빈최씨)が亡くなっており、当ドラマの主人公・延礽君(ヨニングン:연잉군)李昑(イ・・グム:이금)は母を失って1年という状況。
イ・グムは1694年生まれなので朝鮮式では26歳です。
禧嬪張氏(ヒビンチャンシ:희빈장씨)の息子で世子(セジャ:세자)李昀(イ・ユン:이윤)には、子を設けることができないとの風聞がついて回っていました。
彼はこの時32歳です。
もうひとりの主人公・朴文秀(パク・ムンス:박문수)は1691年生まれ。
この年に29歳になっています。
最近ではさほどクローズアップされていないものの、暗行御史(アメンオサ:암행어사)が彼の代名詞で、歴史ドラマだけでなくギャグとしても多用されます。
もちろん、彼を主人公にしたドラマも何度か制作されており、韓国国民にとっても馴染みのある人物。
日本人にとっての水戸黄門&印籠が、韓国人にとってのパク・ムンス&馬牌といったところでしょうか。
本当は御史になったことはないんですけどね(汗)
密豊君(ミルプングン:밀풍군)李坦(イ・タン:이탄)は1698年生まれ。
この年22歳になっています。
イ・グムのことを兄上と呼んでいたのはこの年の差のせいです。
彼もまた王族であることには変わりないものの、世子やフォンとはことなり、イ・グムの兄弟というわけではありません。
彼の祖先を遡ると、悲劇の世子・昭顕世子(ソヒョンセジャ:소현세자)に行き着きます。
本来は王になるはずだった彼は、その先進性から父王・朝鮮第16代仁祖(インジョ:인조)や臣下に警戒され毒殺されました。
彼の弟が結局王位を継ぎ、朝鮮第17代孝宗(ヒョジョン:효종)となります。
その息子が第18代顕宗(ヒョンジョン:현종)で、粛宗は第19代。
このような経緯があるため、正当性を担保に担ぎやすい人物だったと言えます。
ひとつ気になったのが仁元王后 金氏(イヌォンワンフ キムシ:인원왕후 김씨)。
ナム・ギエさんが演じているのですが、彼女は59歳。
史実の仁元王后は第二継妃ということもあり年若く33歳。
さすがにこのキャスティングは・・・。
ちなみに、みんな大好きな仁顕王后(イニョンワンフ:인현왕후)は第一継妃で、粛宗の2番目の正妃です。
●参考●
老論・少論・南人
朋党政治(プンダンジョンチ:붕당정치)はこの頃全盛期を迎えていました。
第14代宣祖(ソンジョ:선조)の治世、党派は東西に別れ、東人(トンイン:동인)は北人(プギン:북인)と南人(ナミン:남인)に分かれます。
粛宗は1674年に即位し、直後に南人による政権を樹立させます。
1680年には一転、西人(ソイン:서인)政権を樹立させました。
その後、1683年に西人は老論(ノロン:노론)と少論(ソロン:소론)に分派します。
トンイを視聴した方は覚えているかと思いますが、仁顕王后の背後には西人、禧嬪張氏の背後には南人が付いていましたね。
1701年、禧嬪張氏が死を賜り、李昀(イ・ユン)の処遇が議論されます。
その際、彼に同情的だっかのが少論でした。
これ以降は老少の対立が軸となります。
それでも、しばらくは少論が実権を握っていました。
1717年になり、粛宗は老論を重用。
ドラマ内でも領議政(ヨンイジョン:영의정)が老論だったことからもわかるように、1719年においては老論が朝廷の権力を握っています。
しかし、少論は世子との繋がりを保っているため、老齢の粛宗にもしものことがあれば再び換局(ファングク)が起きる状況。
南人はこの時点では完全に勢力を失墜させていました。
後年、正祖(チョンジョ:정조)李祘(イ・サン:이산)を輔弼した名宰相・蔡済恭(チェ・ジェゴン:채제공)。
彼は南人だったのですが、この頃まで南人は息を吹き返せませんでした。
所由(ソユ:소유)
茶母(タモ:다모)ヨジは司憲府(サホンブ:사헌부)の所由(ソユ:소유:捜査官)。
韓国語がある程度わかる方なら「소유」は「所有」だと思うのではないでしょうか?
また、辞書には「所由」は出てこないかと思います。
一応朝鮮王朝史研究家のボクも、「聞いたことはある気がするのだけど何だったっけ?」といった状況でした。
しかも、NAVERで調べてもハングルでの検索だと「所有」しか出てきません。
こんなときには一次資料を当たるしかありません。
朝鮮王朝実録を調べてようやく漢字を突き止めました。
このドラマを機に、所由(ソユ)という言葉はメジャーになりそうですね。
まとめ
このドラマ、キム・イヨン作家が久しぶりに本気を出している印象。
どうやら司憲府(サホンブ)が掘り起こされそうなので、難解な単語が現れたら今回のように調べてフィードバックします。
あらすじはこれから追々とやっていきますね。
文責:韓国ドラマあらすじ団
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