ハ・ジウォン(하지원)、チュ・ジンモ(주진모)、チ・チャンウク(지창욱)主演の韓国ドラマ
奇皇后(キ・ファンフ:기황후:きこうごう)の第4話解説(あらすじ含む)です。
奇皇后 キャスト・登場人物紹介(改訂版)
ワン・ユのモデルは暴君・忠恵王(チュンヘワン)
そもそも高麗王の名称は聞き慣れない上に、忠恵王(チュンヘワン:충혜왕)という名前は余計に聞いたことがないという方も多いのではないのでしょうか?
けれど、この王こそがワン・ユのモデルなのです。
ただし、モデルと言っても、その時代に当てはまる王というだけで、キャラクターは全くの別です。さすがに暴君を主人公にするわけにも行かず、制作側がなんとか善キャラにしようとしたもののどうにもならず、結局は架空の人物にしたというのが実状です。
けれど、忠恵王とワン・ユは年齢や大まかな歴史的事実については踏襲している感があります。ここで全てを語ると、ネタバレ的なものになるので、詳細は割愛します。
例のごとく、高麗末期の王の変遷を見てみましょう。
- 第27代 忠粛王(チュンスクワン:충숙왕:1313-1330、1332-1339)ワン・ユの父としてドラマに登場
- 第28代 忠恵王(チュンヘワン:충혜왕:1330-1332、1339-1344) 忠粛王の長男で恭愍王の兄。ワン・ユのモデル
- 第29代 忠穆王(チュンモクワン:충목왕:1344-1348) 忠恵王の子
- 第30代 忠定王(チュンジョンワン:충정왕:1349-1351) 忠恵王の庶子
- 第31代 恭愍王(コンミンワン:공민왕:1351-1374) 忠粛王の次男で忠恵王の弟
高麗末期で一番有名なのは恭愍王(コンミンワン)ですが、その兄で3代前の第28代王だったのが忠恵王(チュンヘワン)です。
イ・ミンホ主演の信義(シニ:신의)を見た方なら覚えていると思いますが、恭愍王が即位する前に兄と呼ぶ暴君がいましたよね?
イ・ミンホ扮する崔瑩(チェ・ヨン최영)がまだ若い頃に、女性を辱め師匠を刺した王。それがまさに忠恵王(チュンヘワン)です。
彼の経歴を見ても分かる通り、彼は2度王になっています。一度目は、ドラマに登場する大丞相ヨンチョル(エル・テムル)を後見として王になっています。このあたりは史実とドラマが完全に食い違っている部分です。
そして、ヨンチョルが亡くなる寸前に元での権力の構図が変更したことによって、あえなく廃位とされ、父の忠粛王(チュンスクワン)が王位に返り咲いています。
忠恵王(チュンヘワン)は両親共に高麗人にもかかわらず、あまりにもモンゴル風の慣習や思想に傾倒してしまい、父王との間に葛藤が生じていたと言われています。
また、王でありながら政治的に思うがままに振る舞えない状況のせいで鬱屈したのか、大変女癖の悪い王でした。
これについては、それ以前の数代の王はほぼ例外なく似たようなものでした。駙馬(プマ:부마)としてモンゴル王家の公主をあてがわれる政略結婚であったため、歴代王の夫婦仲は良いものではなく、むしれ険悪なものだったからです。
そのはけ口として酒や女に溺れてしまうのは古今東西、あまた見受けられる事象ですね。
けれど、忠恵王(チュンヘワン)の場合には無差別でした。父王の後宮だった寿妃権氏(スビ クォンシ:수비 권씨)をはじめ、外叔父ホン・ユンの妻・黄氏(ファンシ:황씨)を陵辱するなど、人倫を外れる行いがしばしばでした。
そして、極めつけは父の妃だった伯顔忽都(ペガンホルド:백안홀도/慶華公主:キョンファ コンジュ:경화공주)をも陵辱したことです。(彼女はドラマに登場している大妃)
けれど、相手が悪かったのは、彼女がクビライの曾孫だったことです。大元のカアンの血筋を陵辱してただで済むはずがありません。
結局、奇皇后の兄・奇轍(キ・チョル:기철)等の高麗(コリョ:고려)の臣下からの告発を受け、廃位となり、流刑先に押送途中にあえなく亡くなりました。
この時代、民に生まれても辛い時代ではありましたが、国権の弱体化した傀儡の王になった歴代王も、忸怩たる思いを持っていたことでしょう。
文責:韓国ドラマあらすじ団
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