チャン・ヒョク(장혁)、オ・ヨンソ(오연서)、イ・ハニ(이하늬)、イム・ジュファン(임주환)主演のMBC月火ドラマ
輝いたり狂ったり(ピンナゴナ ミッチゴナ:빛나거나 미치거나:邦題 輝くか、狂うか)
の最終回(第24話)視聴感想(あらすじ含む)です。
輝いたり狂ったり(邦題:輝くか、狂うか) キャスト・登場人物紹介 チャン・ヒョク、オ・ヨンソ主演韓国ドラマ
輝いたり狂ったり(邦題:輝くか、狂うか) 作品データ
- 韓国MBCで2015年1月19日から放送開始の月火ドラマ
- 脚本:クォン・インチャン(권인찬)、キム・ソンミ(김선미)
- 演出:ソン・ヒョンソク(손형석) 『2Weeks』『個人の趣向』
- あらすじ:高麗時代の呪われた皇子と捨てられた姫が宮殿の中で展開するロマンスを描いたドラマ
- 最終回(第24話)視聴率13.0%
輝いたり狂ったり 最終回(第24話)視聴感想(あらすじ含む)
2位の『噂で聞いた』に2%の差をつけて1位で終了しました。結局15%を超えることはできず、最高視聴率は第12話の14.3%でした。
前半の勢いとは裏腹に後半はストーリーが停滞気味に進みました。結局のところ、24話という尺が長すぎたためで、18~20話編成していればテンポを落とさず進めたはずです。
また、やはり史実の大きな捻じ曲げが滑稽に映る場面もありました。後述しますが、王式廉(ワン・シンニョム:왕식렴)に対する描写は???でした。
かといって、せっかくユルを渤海(パレ:발해)の最後の皇女という設定にしたのだから、フィクションを突き詰めて、もう少し有効に利用すべきだったような気がします。
太祖(テジョ:태조)王建(ワン・ゴン:왕건)の同族・渤海に対する思慕を反映して、高麗(コリョ:고려)王族に組み込むなりしても良かったのではないでしょうか?
フィクションを取り混ぜてワン・ソを語った当ドラマですが、史実では即位後に、豪族に対する大虐殺と言っても良い粛清を行います。
朝鮮(チョソン:조선)でも第3代太宗(テジョン:태종)李芳遠(イ・バンウォン:이방원)が同じような性格の王でしたが、高麗第4代となった光宗(クァンジョン:광종:ワン・ソ)も、国の礎を確固たるものにすべく王権強化を敢行したのです。
このあたり、韓国人はなんとなく光宗が何をした王なのかを知っているので、最終回の即位後の描写も納得済みで視聴しているのですが、日本人は高麗の歴史をさほど知っているわけではないので、この描写の意味がわからなかったかもしれませんね。
今回、悪役として描写された王式廉(ワン・シンニョム)ですが、西京(平壌)から開京(ケギョン:개경)に兵を率いて乗り込んだことは史実です。
けれどそれは、王規(ワン・ギュ:왕규)が他の皇子を傀儡として立てようとした謀反を防ぐためにやったことであり、ドラマの描写とは全く異なります。
かれは、ワン・ソの兄王・定宗(チョンジョン:정종)が亡くなった949年(定宗4年)に亡くなり諡号を威靜(ウィジョン:위정)と付けられます。
また、虎騎尉(ホギウィ:호기위)、太師(テサ:태사)、三重大匡(サムジュンデグァン:삼중대광)、開國公(ケグクコン:개국공)も追贈され、定宗の廟庭へ配享(宗廟に祀られる)されました。
これは、臣下としての最高待遇を意味するもので、ドラマとは全く逆だということがわかるかと思います。
ヨウォンとして登場した大穆王后皇甫氏(テモクワンフ ファンボシ:대목왕후 황보씨)はワン・ソが即位した6年後にのちの第5代景宗(キョンジョン:경종)を産みます。
ヨウォンの弟・王旭(ワン・ウク: 왕욱)は後に戴宗(テジョン:대종)となります。といっても、息子が王位についたための追尊であり、彼の死後のことでした。
ワン・ソの子である景宗が早くに亡くなったため、1歳の王子を王位につけることもできず、遺言によりワン・ウクの次男を王位につけたのです。それが第6代成宗(ソンジョン:성종)です。
ワン・ウクには他に娘もおり、それがかの有名な千秋太后(チョンチュ テフ:천추태후)です。彼女は景宗の第三王妃でもありました。
高麗は王族同士の血族結婚だらけなので、把握するのが難しいのが玉に瑕ですね。
さて、架空の人物ユルはまだ見たことのない国が見たい、互いに必要なものを取引したいと言って皇宮に入らずに西域に赴くことになります。
ワン・ソには王としての夢見る新しい世界があり、ユルにもまた彼女自身が夢見る新しい世界があったのです。それがときめきだと言ってましたね。
さすがに皇宮に入ると史実からあまりにもかけ離れるから、このあたりに落としどころを持ってきたのでしょう。
『その時間が過ぎてまた会ったとき、俺たちはどんな話を交わさねばならないのだ?』と、ワン・ソ。
『挨拶をなさってください。元気に過ごしているか?と。また会えてうれしいと』と、ユル。
初夜に、『愛してる、旦那様』と言っていたユルは、その思いを秘めて旅立つ。
949年ワン・ソは即位し、年号を光徳(クァンドク:광덕)と定める。
956年(光宗7) 奴婢按檢法(ノビアンゴムボプ:노비안검법) 戦争等でやむを得ず奴婢になったものを平民に戻す。これにより、豪族の弱体化をも図る。
958年(光宗9) 科挙制の実施
965年(光宗16) 濟危寶(チェウォボ:제위보)実施 貧民救済機関とその制度
エンディング
『すまないな。私が来るのに長い時間がかかった』と、ワン・ソ。
『いいえ、兄貴(ヒョンニム)』と、ユル。
『元気だったか?こうしてまた会えて、うれしいな』と、ワン・ソ。
『はい、私も』と、ユル。
文責:韓国ドラマあらすじ団
コメント
史実を詳しく書いてくださりありがとうございます。
ドラマで、皇帝に即位してからのワン・ソの表情が一変したのは、即位してからの恐怖政治を行ったという史実からの演出だったのですね。
エンディング、あれはやはりあの世のことだと私は思います。
ドラマでわざわざ光宗16年、と出ますが、史実上、16年まで皇帝中心の国つくりのための改革と恐怖政治が行われた、ということらしいので、その年に、光宗に大きな変化があった。つまりユルが亡くなった、と言う設定にしたのではないかな、と思います。
そして花嫁衣裳とユルの蝶の片方の羽がワン・ソの元に来た。形見として。(隠し部屋でワン・ソが蝶の首飾りを見ている場面がありますが、そこでは羽が1つなのか2つなのか分かりません。しかしその後、ノーカット版では皇子や姫たちが2つに分かれた蝶の羽をひろう場面があります。つまり二つともワン・ソの元にあることになります。)
ワン・ソが剣を片手に持ったまま蝶の首飾りを見ている場面もあり、殺された?相手を殺してやりたい、悔しい思いの場面とも取れます。
エンディングの花咲く丘(あの世)での2人の姿は、最も心を通わせた時の姿であり、「ここまで来るのに長い時間がかかった」とは、死ぬまで現世でやるべきことをして、ようやく天に召されユルに会えた、ということなのでしょう。
では即位後、ずっとユルに会うことはなかったのでしょうか。
ユルが亡くなったのが光宗16年とすると、16年間会わないまま死に分かれてしまったということになります。それでは、余りにも悲しいし、あの熱愛はなんだったのか、と思ってしまいます。
16年間のうち何度かは、会い「元気だったか。また会えて嬉しい」という会話をしたと思いたいです。
wikiに「945年、王規と王式廉の政争で王式廉が勝利をして、(定帝は)その後ろ盾で王座についた。だが実権は王式廉に握られ、在位わずか4年で病死した。」とあるので、『実権は王式廉に握られ』ていたドラマと人物像はたいした相違ないかも。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9A%E5%AE%97_(%E9%AB%98%E9%BA%97%E7%8E%8B)
光帝の第三夫人は「渤海國王族出身」とあるので、シンユルと再会して皇居に入る設定にしても荒唐無稽にはならなかったかも。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%AE%97_(%E9%AB%98%E9%BA%97%E7%8E%8B)#.E5.90.8E.E5.A6.83